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一冊目「弱いロボット」 著:岡田美智男 (2012)

話した人:山口、大図

とりあえずの一歩を支えるために:ゴミは見つけるけれど拾えない。雑談はするけれど何を言ってるか分からない。そんな不思議な引き算のロボットを作り続けるロボット学者がいる。彼の目には、挨拶をしたりおしゃべりをしたり歩いたりの何気ない行為に潜む奇跡が見える。他力本願なロボットを通して日常生活動作を規定している「賭けと受けの関係」を明るみに出し、ケアすることの意味を深い所で肯定してくれる異色作。

 

【弱いロボットの概説】

山口:この本の一番テーマなんだけど、「エントラスティングビヘイビア」、投機的な行為についての話。堅い話なので少し説明すると、例えば歩くっていう行為はすごく投機的な行為で、歩行する時に足を一歩踏み出すっていう行為はかなり不安定な行動なんだ。歩くっていう行動は、歩いた先に地面があって、それが受け止めてくれる(グラウンディング)ことで初めて成立する。このように、全ての行為が何かしらの作為的じゃない投機的(非作為的)な行為から始まるんじゃないかな。例えば、道を歩く時にもあっちに行ったら何かがあるって事を考えて歩いてるのではなく、歩いてみてからその歩いたことによってキャッチアップする情報を得て、さらに次の行為を考えるっていう連続の動きがあるってこと。その時グラウンディングっていうのはすごく重要な役割で、受け止める側の行為っていうのがすごく大切ですよっていう話をしているのがまあ大きくこの本の主軸になるテーマだと思った。

*エントラスティングとグラウンディング:賭けと受けの関係、委ねる/支えるの関係とも表現できる。日常での自分の行為やその目的は必ずしも一意に固まっているわけではなく、外界に行為として委ねて、そこから何が返ってくるのか(どのように支えられるのか)という相互関係によって形作られていく。その過程を、自身と外界との間に委ねる→支える/委ねる→支える/…というループ構造で説明できるのではないかということ。
*投機的行為:この会話では、不確定性を持ちながら行為を始める”エントラスティングビヘイビア/ entrusting behavior”を、投機的行為と訳して使用している。

 

大図:僕もそう思いました。それはまさしく「賭けと受け」 の話だと思う。似た話で、本の冒頭の方に出てきた「サイモンの蟻」の話が気になった。

これは、蟻を砂浜等の複雑な地形に置くと複雑な軌道を示すが、蟻が周囲を見渡して予め経路を計画しているのか、単に一歩踏み出した結果得られる足の裏の情報を元に、経路の計画なしでに移動を行うのか、どちらなのかという話。

山口:entrusting behavior(投機的行為)とgrounding によってアリの歩く軌跡が生み出されているのかどうかという話だね。人間で言うと、散歩もこれに近い議論ができそう。特定のどこかに向かっているのか、ただなんとなく歩いているのか、というような… 大図はなぜ「サイモンの蟻」に注目したの?

 

サイモンの蟻

大図:「サイモンの蟻」について、蟻の軌道の理由を学生に議論させている場面が面白かった。「弱いロボットの思考法」という同じ著者の別の本に出ているのだけど、そこでは蟻の複雑な軌道のように、学生の議論もあらぬ方向へ行ったり来たりを」繰り返しながらゴールに近づいていく(=精度の高い、学術的な話に近づいていく)という現象が現れた。このゴールはあらかじめ設定されているわけではないし、外部から話の道筋の補助があったわけでもない。

山口:この議論でも、Entrusting に発話をして、他の誰かがgrounding するという繰り返しが起きたんだ。

大図:ここで面白いのは、議論は多数の人間でなっていて、蟻が歩く場合は蟻と環境の一対一の関係だけど、議論の場合は学生の各々考えてることや話すことに対する応答など、多次元的な感じになってる。こうなると議論の道筋は蟻の軌道よりも予測が難しいのではないかと思った。

山口:会話の話だと、「会話ができないロボット」に対して子供たちはどうやって対応するのか、またロボットに対して彼らが教えようとすること、それも別にコミュニケーションのゴールはないけれど、そのこと自体がもうほとんどゴールなんだという話がこの本に載ってた。だから、サイモンの蟻の話でいうと学生たちにその会話させることがもうほとんど目的なんだよね。最初からゴールというか。

 

コール&レスポンスはレスポンスまでをコールする

山口:挨拶もかなり投機的行為だとこの本では語っていて、例えば人に「おは
よう」といって返されない(結構悲しい)ことは普通に考えられて、コミュニ
ケーションとしては実は結構難易度が高い。

それで言うと、ライブでよく見かける、コール&レスポンスは投機的行動ではないなと思う。2個か3個前のフジロックのBeckの回で、観客はほとんど日本人しかいないんだけど、歌詞が英語だから合唱にはならずみんな踊っているくらい。最後のヘッドライナーだったから、凄く盛り上がった場面とか、途中でベックが観客に”Clap your hands” ってやると全員が手拍子を始める。これはコール&レスポンスだよね。この美点として、ちゃんとコールの中にレスポンスの内容が含まれていることが大事なところ。だからこれはentrusting ではなくtrusitng behavior(信頼的行為)なんだと思うわけ。みんながClapをしてくれることを前提にコールしてる。

*コール&レスポンス:掛け合い。コンサート等で演者の呼びかけに対して観客が応えること。ここでは、ほぼ確実に一定の反応が返ってくることを前提としたコミュニケーション形式をこのように呼称している。

 

挨拶はインタラクション。たまにコール&レスポンス

でも挨拶の話ってどうなんだろう?挨拶も帰ってくることを前提にすれば trusting behavior なのでは?大体「おはよう」って言えば向こうからも「おはよう」って返ってくるし…ただこれも互いの信頼関係によるよね。

大図:挨拶返さない人も結構いるから…そう言う環境だと挨拶は投機的行為になるんだろうね。

山口:たしかに。俺の会社でも結構ある…自分は下っ端だから結構「おはようございます!」ってやるけど、逆に上の人から挨拶してこないのは、彼らにとってあまりにも投機的と考えているからなのかな。例えば俺を怖いゆとり世代だと思っている人はそう思ってるかもしれない。信頼が低いから返事をしない可能性があるという。

似た話だけど、働き方改革が叫ばれている昨今だと「飲みに誘っちゃいけない」空気ってのが少しある。誘う行為はかなり投機的だよね。さっきのBeckのコール&レスポンスとは違う。多分昔なら上司の号令でみんな「行きます!(腹ではそう思っていなくても)」ってなったのだと思うけど。

つまり受け手側がとても頑張ってgrounding している。受け手側が送り手の号令を頑張って拾うことによって、実際はentrusting behavior とgrounding の関係であったものがコール&レスポンスのように見えていたのでは? そういうのがすごい面白いなあと思ってて。

著者の岡田さんは、「いつも他者を予定しつつ他者から予定される存在である事」って弱いロボットのことを説明してるんだけど、「他者を予定しつつ」というのは「他者へ自分が行為をしつつ他者からも行為をされることを予定されている」って言うのかな、だから結局はインタラクション。

テーマにつながってきました。なんとかインタラクション、今回は「弱いロボット的インタラクション」。

 

弱いロボットは不完全性ゆえにインタラクション

大図:さっき出たサイモンの蟻の話もこれに近い。普通、計画実行サイクルを回すには取得した情報をかなり精密に分析する必要があって、高度な演算能力に頼っている。

山口:現代ってどっちかって言うとディープランニングとか…本が出版された当時はどうだったんだろう

大図:論文とかは既に出ていたでしょ。演算能力や計算手法の開発が追いついてきたのがこの頃なのかな?

山口:弱いロボットはある意味では逆張りで、自動運転とかの様々な手法で回収したデータを集約・解析してできるだけtrusting に行こうよっていう現代の潮流からは外れている。entrustingの話って逆で、最小限のセンサーしか持たない「弱いロボット」が、その不完全性ゆえに人間側がインタラクションできる余地があるって言う話だなと思って。

山口:この本の見返し表に書いてある帯の言葉で、「一人では動こうにも動けないという自分の体に触れ不完全さを悟りつつ他者に委ねる姿勢を持てるかどうかである」と言うのがあって、この「不完全さ」っていうのがインタラクションの要素なんだなと。例えば、会話とかも全てを伝えようとする時にはそれはコミュニケーションじゃなくてインストラクション(説明・解説)なんだよ。

大図:プレゼンテーションとかもインストラクション的?

山口:あれも基本的に一方向で伝えるものだけど、一応最後に質問コーナーがある時が多い。

インストラクションは、 クエスチョンは基本的にない。完全に説明だから。製品の全てのスペックを話す、みたいな。昔の機械には全部分厚い説明書がついてるじゃない。携帯電話時代ってすごい厚みのマニュアルとかあって、ああ言うのは「フル・インストラクション」って言えると思う。

不完全だからコミュニケーションが必要ってこと。会話をするのも、俺がこう考えると言うのと大図がこう考えてると言うのが互いにわからないから発生してるんだと思う。「俺はこう思う」を投機的に発話して、受け取った側も「僕はこうだと思うんだよね」とgroundingしながらも投機的に発話を返している。会話ではこの受け答えが繰り返されている。

結局は不完全性がある方がコミュニケーションとしては強いし、インタラクション性があると思う。

大図:ちょっと駄目な子の方が可愛い、完璧すぎると近寄りがたい気がする、って話も近いのかな?他の人の思考が全部分かっちゃったら会話する意味がないっていうか。テレパシーとかで全部通じるのであれば口に出す必要もない。

 

ゴミ箱ロボットと人間のコミュニケーション

山口:悲観的な話だけど、最近の潮流って基本はパーフェクトよりも最適化で、より「労力を減らそう」っていう流れじゃん(個人の感想です)。僕はそれに対して弱いロボットが提議してるのはどっちかと言うと人間的人・モノ的・意図的・生物的な、そう言う思考について考えようという具合の。例えば「ゴミ箱ロボット」というゴミが落ちてる物の周りをウロウロするロボットで、子供とかがゴミを入れてあげようとしたくなるロボット。人が「したくなる」ところではなく、人間がやっているところがこの話は面白いなと思った。

山口:なぜそれが面白いと思ったかというと、掃除をするロボットではルンバって実用的なロボットがいるから。

大図:ルンバって、最初のバージョンでは完全に部屋の空間を把握しているとかではなく、ランダムに移動して完璧ではないにしろある程度床を掃除することができるってロボットだった。

山口:割と人間が手を出さないとしっかり働けない場面もあるよね。

大図:そう!奴らコードを乗り越えられないこともあるし、変な家具の置き方してるとそこにハマって動けなくなる現象も起こる。そういったルンバにとっての罠をなくすように人間が色々と工夫を凝らして、結局それでも部屋が綺麗になったりする。

山口:ルンバ買って部屋が綺麗になる一番の理由は「ものを床に置かなくなるから」ってよく聞く。あとは地面との接触が減っていくってこともあるけど…このロボットは「弱いロボット」よりちょっと強いロボットだなと思う。ルンバ使ってる人はゴミ拾う必要ないしね。「弱いロボット的」に言うと、人間が「仕方ない掃除してやるか」ってなるのがより弱いロボットだと思う。ルンバは不完全性(imperfection)とは意味が違う不完全だね。

大図:完全な不完全性(complete imperfection)ではないと。

山口:ルンバもちょっとした不完全性はあると思う。例えば部屋の中の障害を乗り越えるための脚や腕をつけるって話はまだ出ていないし、これからもないと思う。

大図:部屋の形状のセンシングとかはやっているけど。

山口:その点ではどんどん強いロボットになっているよね。彼らの行動がentrusting からtrustingになってる。僕はコール&レスポンス式って言うけど、完璧な結果を出すための最適な行動(コール)のためにセンシングするってことをしている。

ここで思い出したおもしろい話があって、Joshua Kleinが作った”CrowBar“ってシステムがあって、カラスにタバコを拾わせるって仕組みがあるんだ。

大図:!?

 

タバコを拾うロボットとしてのカラス

山口:去年の11月頃に見た記事なんだけど、カラスを調教して彼らにタバコの吸い殻を拾い集めさせようと言うもの。人間が拾うと手間も人件費もかかって超大変だから街にたくさんいるカラスに仕事をさせようって思ったんだろうね。調教方法としては、街灯状の構造物の上に餌があって、下にタバコを置いておく。カラスがそれをつまんで下に捨てると、下でタバコが捨てられたことに反応するセンサーがあって、センサが反応すると上から餌が落ちてくる。これを繰り返すとカラスが学習していろんなところを拾ってくるようになる。

大図:なるほど!

山口:って言うのを実際やってて(TED等で見られます)。これはコール&レスポンスなのかentrusting behaviorなのかって思うと、コール&レスポンス式なんだ。だってカラスの行為を期待してやってるから。

大図:結果を予測してそれでモデルを作って、実証試験で成功したみたいな感じだから、もうこれでこの話はおしまいですみたいな?インタラクションの関係で言うと「閉じたインタラクション」とでも言える。

山口:今回のテーマとして「弱いロボット」を選んでいる理由でもあるんだけど、インタラクション性に対して不完全性がすごく大事っていう話で。だって、全てが予期されたシステムって、その話(カラスをゴミ拾いに使うという話)自体は面白いかもしれないけれど、システム自分が関与する余地が無くなっちゃうということで。より完全なロボットを追い求めるのも重要だけど、インタラクションに関して言うと、ロボットが凄すぎると自分の介入する余地がなくなって…コミュニケーションが取れなくなるってことだよね。

大図:「隙」が要るってことだね。隙が、開いた(オープンな)インタラクションを作って、「私も参加できる!」って状態ができるかなって。

 

不完全性(imperfection)と利休

山口:ちょっと思い出したんだけど、不完全性(imperfection)って、レナード・コーレンの書いたWabi-Sabiって本があって、その中で侘び寂びのすごい大切な要素として挙げられていたんだ。利休曰く、「完璧なもの、高くてかっこいいものはダサい(超訳)」。デザイン的に優れた思考だと俺は思うんだけど、要するに完成されたものに対して「美がない」と。

不完全な欠けたお椀にも美点を見出せる事こそがかっこいいのではないかと、不完全性(inperfection)を愛せることが茶人の茶気であると言う。岡倉覚三(岡倉天心)の茶の本からの孫引きだけども、この思想はかっこいいと思った。

デザイン的な話にずれるんだけど、セレクトショップで洒落た物を買うのはすごくコール&レスポンス的なんじゃないかな。店側の「こういう物好きでしょ」ってコールに客さんが「素敵ですねって購買する」レスポンスをとる、まさしくコール&レスポンス形。じゃあentrusting behavior & grounding (賭けと受け)の話でいうと、もっと雑多な所から選べる方が、ピックアップできる方が近いんじゃないかなと思ってて。俺はホームセンターとかが好きな理由も、自分にデザイナー的一面があるからだと思うんだけど、セレクトショップとかでの買い物ができない。というのもそこには最適な答えが出すぎていてインタラクションできないんだよね。

大図:受け身になっちゃう。

山口:それよりも、ホームセンターに行って「この長靴マジでカッコいい!」って思って買えることの方がインタラクション感強い。売り手側は特にEntrustingだとは思ってないだろうけど。

大図:需要のあるものを揃えているだけだからね。

山口:俺はそれに対して全力の受け取り方をすることによってインタラクションしてる。これが「利休的」なんじゃないかって思う。言い過ぎかもしれないけど…

何を言いたいかというと、インタラクションはコール&レスポンスではないってこと。だから、完全な受け手の結果っていうのを要求しない方がインタラクション性が高まるって話だよね、多分。

だからルンバにもインタラクション性があるんだよね。例えばルンバが家具やコードにつまづいてて可哀想だからどける行為は「弱いロボット」的だとも言えるし、家具をルンバの都合のいいように移動させてる人はgroundingしてるって言える。

大図:ルンバが変な動きしてるから家具をこう動かせばきちんと動いてくれるかな?っていうの。

山口:それもそうだけど、それよりも人間の人間的価値って、ロボットが全部掃除してくれることなのかなと疑う。カラスを使って吸い殻集める装置にしたって、じゃあまず人に吸い殻放るのやめさせろよってならない?能動的に吸い殻を捨てさせる灰皿とかの方が、弱いロボット的にはいいんじゃないかなと思った。カラス使うのは面白いが。

 

インタラクションとヒューマンリソース

大図:話がちょっとそれるけれど、基本的に人が介在するインタラクションって人間のリソースを消費するんだよね。

山口:確かに。

大図:だから弱いロボットっていうのは、その不完全性によって人間に彼らへの働きかけを誘発する機能があるんだけど、これをすべての領域に拡張すると人間は弱いロボットの処理だけ疲れちゃう。

山口:集中力を奪うとも言い換えられるね。ルンバが掃除の世話をしてくれるから我々は掃除について集中する必要がない。でも、そうなったとき何に集中するんだろうってことが大事だと思っていて、集中する内容がコール&レスポンス的なものであるよりもentrustingな行動を起こすものの方がより人間的なんじゃないかなって。

山口:何か他にトピックとかありますかね。

大図:なんか…忘れてしまった!話をどう組み立てたらいいのか…(トピックを事前に書き出した)カードでね、「話の組み立て方がわからない」って書いてあるんですが…

山口:いいじゃない!

 

会話とインタラクション

大図:これ、インストラクションの話と被るんですが、人間が普通に話してる時って(このラジオもそうなるんだけど)反復的に発話を形成している。最初から完璧な言葉が出てくるわけじゃなくて、何回も繰り返したりとか、えーとかあーとか間を伸ばすだけの語を挟みながら、不完全な言葉を重ねて言って、全体として意味のある言葉を作っていく…意味のあるメッセージ単位につながっていくという現象が起こっている。「話の組み立て方がわからない」というカード、これはPodcastをする直前に書いた物で、実際書いたときの切実な気持ちだったと思う。

山口:即興の会話ってのはentrustingな行為だけど、じゃあどうやって調整していくかってことに対して、最近考えてますよってことかな。難しいね、でもさあ、あんまりさあ…(ひとときの間)今みたいな一瞬の間の時って考えてるって思う?俺は考えてないような気がするんだよね。

大図:考えると間が10秒とか長くなっちゃうんだ。

山口:なるほど!じゃあ話を組み立てようとしているんだ。俺は発話の時に内容をあまり考えない、例えばプレゼンテーションをよくするんだけど、その時もあんまり筋書きを持たないで、自分がなぜそれを話す必要があるのか、話したいのかって考えて、それに集中すると候補の言葉がいくつか出てくる。今から会話の話をしたいのか、ロボットの話をしたいのか、インタラクションの話をしたいのか、って時に、「でも今はインタラクションが一番近いな」って出して行くみたいな。そこで一回、投機的(entrusting)に話し始めてみる。話始めてみて、わりと「やっぱ違かった!」ってなることも多いんだけど。その時は戻って「やっぱ今のはちょっと違いました」って言う。プレゼン中でも。

大図:なるほどそう言う修正方法があるんだ…

山口:間違った時には間違ったって言われたら、間違ったんだって向こうもちゃんとわかってるからね。

大図:「あっじゃあ今のは無しで」的な?

山口:そこまではいかないけど、「ちょっと違うかもしれませんが」という、軌道修正的な感じ。あとは全然違う新しいことを言う感じ… あとプレゼン聞いた人ってわかったつもりで帰っていくけど、わかってないことが9割ぐらいあるんだよね。10分のうち9分くらいは何もわかってないけれど、「(伝えたい)気持ちは伝わった」と言う感じで帰っていく。

大図:でもそれが一番大事かもね。

山口:資料をちゃんと作るとか、ロゴの意味を言葉としてつけるのが大事なのは、その情報自体よりも、例えばロゴの意味を考えたことを伝えんとする姿勢が見えるからだよね。

でも…この話は相手のgroundingを期待しているわけではないんだよね…プレゼンもちょっと違うね。企画を通そうとしてるからね。

大図:でも、もっと祈るような気持ちで、「ベストを尽くした、何とかなってくれ…!」というような感じで。

山口:そうだね。ある意味でパーフェクトを目指してんのかそういう時は?…ちょっとわかんないね。これはまた次回に持ち越しということで、今日は一旦【弱いロボット第一部 完】かな。

 

 

ニゲルイス

山口:最後に大図の「動く椅子」についてちょっとだけ話ししてもらってもいいかな?

大図:この「弱いロボット」とも繋がりがあると勝手に思っているのですが、「ニゲルイス」という椅子を作っています。人間が近づいてきた時に、「座ろうとしている」と勝手に解釈してその人から逃げる・遠ざかる椅子なんです。

元々は誰かが座る直前に椅子を引っ張るいたずらを椅子自身にやらせたら面白そうだと思って作ったのですが、複雑な実装がめんどくさかったので単純に人が近づいたら逃げるという仕組みにしました。そうすると、人以外にも壁とかいろんな環境にも反発して動いたりして、例えば壁に追い込むと壁から跳ね返ってくるような。でまた人を検知してやべえ!となって、また跳ね返って…たまに車輪が滑って横にずれたりして。その過程の組み合わせで逃げ切れるという。椅子自身何らかの高度な思考を持つわけではないが側から見るとそのように見えなくもない。そういう椅子ですね。

山口:これが「next弱いロボット」、「なんとかインタラクション」になっていくってことで、乞うご期待!

話が長くなりました。

〇冊目「なんとかインタラクションの手引き」.txt

インタラクションがやって来る!

情報革命に伴って何をするにしてもインタラクションについて考え実装することが必要な時代が到来したようだが、我々はそれに対する準備が未だできていないではないか。

ここは、先人たちの積み上げてきた「本」という情報メディアに目を移してみよう。

僕たちは、少しでもインタラクションの匂いが嗅ぎ取れる本を読み、その知見から世界を窺い見ることでインタラクションという語が持つ謎感を晴らしていこうと思う。

UI/UXの世界に限らず、インタラクションという言葉は人の動作が介入する系のすべてに適用される。交互作用と訳されるこの語は、言い換えれば、人などのある主体と他の主体(他人、モノ、環境など)が関わり合うあらゆる境界面における現象を表すことができる。

例えば、

・友人に挨拶をして挨拶が返ってくる

・ゲームのキャラクターがボタンを押すと小気味良い音を出しジャンプをする

・長い時間使用されることにより持ち主の手に馴染んでくる道具

・筆記を繰り返すことでより上手く、早く字が書けるようになる

・旅先の景色に心が洗われる

・椅子に座る

など、数限りない例を挙げることができる。

「インタラクション」は、非常に汎用性の高い語であると同時に、何らかの定義を加えないことにはそのあまりの広義性から何を指すのかいまいちはっきりしない語でもある。

「なんとかインタラクション」では、俯瞰的な視点でインタラクションを捉えることで、万人に理解可能な「汎インタラクション」を定義・提示しようと試みる!

 

乞うご期待。